JennyのLove yourself, Speak yourself

説明下手なやつが言語化を練習するためのブログです。

「死にたいけどトッポッキは食べたい」

 

自分の性格やこれからのことに悩んでいたときに二冊の本を買いました。

 

「私は私のまま生きることにした」

 

そして

「死にたいけどトッポッキは食べたい」

 

どちらも韓国の本で、

ネットで話題になっていたのを見て知っていました。

また、一冊目の方は友達からもいい感想を聞いていたので、

その友達と遊んでいたとき衝動的に買いました。

 

そして、その友達が読んだことがない方から読んでみようということで読み始めました。

今日はこの本の中で印象的だったことや、自分にとても当てはまるところを書き残しておこうと思います。

と言ってもメモして残しておいたわけではないので今日読み終えた部分や後半が中心になりますが。

 

 

P99

「誰かが私を見下していたわけではなく、実は私自身がいちばん自分を見下していたのです。

その友だちとのカトクを見直してみると、別に気にせずやり過ごしてもいい内容だった。彼女が私を馬鹿にしていると思い込んでいたせいで、その内容を悪く受け取ってしまった。だから彼女の反応を誘うようなひどい言葉で攻撃したのだ。関係を終わらせようと。

(中略)

私たちは皆いろんな部分を持っている。それが全てだ。一部分をもってこの関係を続けるとか、終わらせるという問題ではない。」

 

 

P127

「どうしてひどい扱いを受けながら、個人が社会の基準に合わせなければいけないのだろうか。馬鹿にする人たちの方が間違っているのに。でも大多数の人がそうだし、自分もそうだから矛盾していて腹立たしい。その枠から抜け出せない自分、自分より優れた人に会うと萎縮し、自分より劣った人に会うと堂々として、どこかホッとする自分がとても嫌だ。」

 

 

P131

先生「まず疑ってかかっていますよね。例えば、自分で自分の容姿が美しくないと思っているのに、他人が自分の容姿を褒めたら、「あの人、なんで私に?下心があるのかな?」と考えるとか。でも、自分の容姿に満足していたら、素直に受け止められるでしょう。自己肯定感とは関係なく、「誰かが私を愛している」という事実を、どう受け取るかが問題だと思います。」

「例えば、誰かがあなたを好きだとします。そこで、「私も私のこういう部分が好きだし、ちょっと前向きい考えてみようかな」という反応と、あいつはどうして私のような人間が好きなんだろう?変だな」と考えるのは違うということです。」

「自己肯定感のあり方によって、他人の真心の受け止め方は変わってきますから。」

 

 

P154

「自己肯定感がとても低いために、他人に評価してもらって満足感を得るのだという。でも、それは自分自身が感じている満足ではないから、限界を感じるしかなくて、すぐうんざりしてしまう。だからまた他の人を探す。結局、誰かが私を好きだということだけでは、私自身は満足できることはないんだという。」

 

 

P157

「そうしているうちに、光と影は一体だということを、再び思い出した。幸福と不幸の共存のように、人生の曲線は流動的なものだ。そして、私が諦めない限りそれは続き、泣いたり笑ったりすることもできる。結局、この本は質問でも答えでもない、願いで終わる。私は愛し愛されたい。自分を傷つけなくていい方法を探したい。"嫌だ"よりも、"いいね"という単語が多い人生でありたいと思う。」

 

 

P170

「結局、自分が羨ましいと思う人々に一足飛びに近づくことはできない。そうなれはしない。そう自分が洗練されていく道はただ一つ、今の自分自身から、少しずつ、のろのろと、進んでいくだけだ。判断を急かず、感じるままに無理強いはせず、自らが下した判断と感情を受け入れること。自分を責めたところで、たちまち賢くなれるわけでもないのだから。

 おそらく人生は、受け入れることを学ぶ過程なんだと思う。受け入れたり、放棄したりするということは、人生の特定の時期だけに必要なことではなく、生きている限りずっと取り組むべき課題ではないかと思う。ありのままの、つまらない自分を受け入れることで、ありのままの、それでも努力しようとする、つまらない相手をも受け入れることができる。」

 

 

P177

「私たちにはいつも修飾語がくっついてくる。

(中略)

私は今会社で仲の良い人たちの学歴を知らない。自分でも特に知りたいと思わない。全てではないが、少しずつ変わっている。変わらない部分だけを見て辛い思いをするより、変化する部分に目を向けて希望を持つべきだ。多くの人が修飾語などなくても、カッコよく、自信を持てる日が来たら、という希望を。」

 

 

P185

「『あの人は変わってしまった』というのはいらない言葉なのかもしれないと思った。一貫した人であるとか、あるいはそうあって欲しいと願うことは、人によっては残酷なことなのかもしれない。

(中略)

私たちの中に種がないものは、絶対に育つことはない。だから、私たちは生涯にわたって他人とは平行線をたどるしかない。しかし、私の中にないものを作り出すための方法が想像と学習だ。感情移入というのもやはり学習であり、想像しなければいけない時がある。

 感情移入は自然にできるものだと考え、自分を動かさない多くのものに対しては、心を閉ざして生きてきた。しかし、私の中になかったものを作り出して連帯する瞬間こそが、大人になる一つの道であるはずだ。

(中略)

 理解できず、だから移入もできない感情を、学んで想像すること。それは他人に対しての愛情であり、私の中の種と相手の中の種が干からびてしまわないための唯一の脱出口である。完璧に理解はできなくても、それでも握ったロープを離すまいとする心。」