JennyのLove yourself, Speak yourself

説明下手なやつが言語化を練習するためのブログです。

自分の特性と向き合う

 

本日の診断の結果、不注意優勢のADHDだったので、この特性と向き合うために

また、通院の記録としてもこのブログを使おうと思います。

 

 

 

学校を卒業して仕事を始めてから、自分が他の人とどうやら違うようだと感じることが多くなりました。

今思えば昔からでしたが、社会という枠組みに入るとより顕著に現れたようでした。

 

簡単なことなのにできない、

集中して取り組めない、

筋道立てて考えることができない

 

など。

 

最初はあまり気になりませんでしたが、仕事の難易度が上がっていくうちに

どんどん自分のできなさ加減に落ち込んでいくようになりました。

 

仕事を始めて2年ほど経ったところで

ADHDという単語を知り、自分にも当てはまるのではないかと思ったのが最初でした。

 

会社の帰りに行ける心療内科を探して受診してみると

その時はADHDよりもASD自閉症スペクトラム)、軽度の発達障害だと診断されました。

 

「やっぱり何かしらの原因があったんだなあ」

と、多少は悲しくなったものの自分の症状に名前があったことに少し安心したような記憶があります。

 

診断はASDよりだったものの、不注意の症状にも自覚があったので薬を処方してもらって試してみましたが、

副作用の便秘に悩まされてすぐに服用をやめました。

 

その後、会社を退職し家族の扶養に入ったため

内緒で通院(と言っても2回しか行ってませんが)していた私はそこでその病院に行くのをやめてしまいました。

 

 

ですが、

その後留学までの間にアルバイト、帰国してからも仕事をしていても

不注意の傾向は多々見られ、できない自分に悩みました。

 

本当は通院するべきだったのでしょうか。

 

「自分の症状に名前があったんだ」と当時わかっていても

なかなか辛い日々でした。

 

他の人が難なくできることができない、馬鹿にされるって本当に嫌だ。

 

 

 

 

少し時系列は乱れますが、留学にいく前、

姉に病気が見つかりました。

 

そしてそれに似た症状は私にもあったので、私にも病気の疑いがかかりました。

 

私は仕方なく一番最近した血液検査の結果(心療内科でしたもの)を家族に見せました。

当然「え?これどこの病院?」となりました。

そこで仕方なく受診に至った経緯を話したところ、

全力で、否定。

 

 

「あなたはスタートダッシュが遅いだけ」

「絶対に違う」

 

なんで医者が言ったことを違うと言えるんだろう。

どこかで勉強してきたのかな。違うな。

自分の子供が「障害」なんて名前の付くものに当てはまるのが嫌なのかな。可能性はあるな。

 

診断結果を否定して、「あなたは大丈夫」ということは、

上記の症状で悩む人間に対する正しい対応なのだろうか。

 

違うと思います。

 

でもこれは当事者にならないとなかなかわからないかもしれない。

 

知らないことに対して想像力を働かせて対話をすることは本当に難しい。

そう実感した瞬間でした。

 

 

 

 

時間を戻して現在、その診断をされてからちょうど2年が経ちました。

新しい職場に来て半年が経って、また同じような症状に悩まされて、

アレルギーがひどくなってPMSも相まってかなり憂鬱になったことから

もう一度心療内科の受診を決めました。

 

今度は違う病院に行ってみようということで

(前の病院は待ち時間長すぎだし先生との相性も微妙で行く気がしなかった)

女性の先生を探して行ってみました。

 

前の病院とは違う形の診察で、

先生が直接私の話を聞きながら、どの症状に当てはまるかを探してくれました。

 

私の悩みや症状を聞いた結果、ADHDに当てはまる可能性が高いということで

それ用の検査をしてもいいですかと聞かれ実施。

結果、衝動性などの兆候はあまりみられないけれど、不注意性のADHDにかなり当てはまると診断されました。

 

そこでも2年前に別の病院にかかったことは話しましたが、

ASDというよりかは今はADHDの症状の方が強く出ている、ということだそうです。

 

診断結果が2年前と変わった。

2年前に比べてASDの症状が改善した、というふうにも捉えられますが

聞き方や、私の話し方によっても答えが変わってくるものなのかな?という感覚も少しあって。

 

というのも、今回の先生との方がしっかり話せた感じがあったからです。

前の先生は、診察の前にカウンセラーの先生とお話しする時間があり、

そこで幼少期の話から現在までを話して、その結果を先生が聞いて

診断を下す、という感じでした。だから先生と話している時間は結構短くて

あまりしっかりと意思疎通ができた感じがありませんでした。

 

これはあくまで憶測ですから、症状が変わったと考えるべきだとは思います。

 

でも先生との相性って大事だなあとやっぱり思いました。

もう少し通って、今の先生にこれからも診てもらおうと思ったら通院しようと思います。

 

 

後は処方された薬の効果にどうしても期待してしまいます。

 

私も普通に安心して仕事できるかもしれない、と思うとどうしても。

 

違う国に行きたいと思ってるので尚更。

 

 

移住に関して、

正直、自分の仕事能力のなさに完全に自信をなくしているので、

前回のブログの時に決意はしたものの、どこか遠い夢のように思っていました。

 

 

でももし薬に効果が出て、もう少し自信を持てるようになったら

現実にしようと前向きになれるかもしれない。

 

そう思えました。

 

 

 

自分が今できる範囲がわかったのなら、

それをまず自分が受け止めてあげようと思います。

 

そうやって少しずつ自信をつけて、

前を向いていこうと思います。

 

もう少し簡潔に書きたかったけど、

前の通院記録も書いたらまとまりのない文章になってしまいました。

 

次の診察は来週。

処方された薬が甲状腺に機能するかもしれないことだけ相談しておこうと思います。

 

 

 

「死にたいけどトッポッキは食べたい」

 

自分の性格やこれからのことに悩んでいたときに二冊の本を買いました。

 

「私は私のまま生きることにした」

 

そして

「死にたいけどトッポッキは食べたい」

 

どちらも韓国の本で、

ネットで話題になっていたのを見て知っていました。

また、一冊目の方は友達からもいい感想を聞いていたので、

その友達と遊んでいたとき衝動的に買いました。

 

そして、その友達が読んだことがない方から読んでみようということで読み始めました。

今日はこの本の中で印象的だったことや、自分にとても当てはまるところを書き残しておこうと思います。

と言ってもメモして残しておいたわけではないので今日読み終えた部分や後半が中心になりますが。

 

 

P99

「誰かが私を見下していたわけではなく、実は私自身がいちばん自分を見下していたのです。

その友だちとのカトクを見直してみると、別に気にせずやり過ごしてもいい内容だった。彼女が私を馬鹿にしていると思い込んでいたせいで、その内容を悪く受け取ってしまった。だから彼女の反応を誘うようなひどい言葉で攻撃したのだ。関係を終わらせようと。

(中略)

私たちは皆いろんな部分を持っている。それが全てだ。一部分をもってこの関係を続けるとか、終わらせるという問題ではない。」

 

 

P127

「どうしてひどい扱いを受けながら、個人が社会の基準に合わせなければいけないのだろうか。馬鹿にする人たちの方が間違っているのに。でも大多数の人がそうだし、自分もそうだから矛盾していて腹立たしい。その枠から抜け出せない自分、自分より優れた人に会うと萎縮し、自分より劣った人に会うと堂々として、どこかホッとする自分がとても嫌だ。」

 

 

P131

先生「まず疑ってかかっていますよね。例えば、自分で自分の容姿が美しくないと思っているのに、他人が自分の容姿を褒めたら、「あの人、なんで私に?下心があるのかな?」と考えるとか。でも、自分の容姿に満足していたら、素直に受け止められるでしょう。自己肯定感とは関係なく、「誰かが私を愛している」という事実を、どう受け取るかが問題だと思います。」

「例えば、誰かがあなたを好きだとします。そこで、「私も私のこういう部分が好きだし、ちょっと前向きい考えてみようかな」という反応と、あいつはどうして私のような人間が好きなんだろう?変だな」と考えるのは違うということです。」

「自己肯定感のあり方によって、他人の真心の受け止め方は変わってきますから。」

 

 

P154

「自己肯定感がとても低いために、他人に評価してもらって満足感を得るのだという。でも、それは自分自身が感じている満足ではないから、限界を感じるしかなくて、すぐうんざりしてしまう。だからまた他の人を探す。結局、誰かが私を好きだということだけでは、私自身は満足できることはないんだという。」

 

 

P157

「そうしているうちに、光と影は一体だということを、再び思い出した。幸福と不幸の共存のように、人生の曲線は流動的なものだ。そして、私が諦めない限りそれは続き、泣いたり笑ったりすることもできる。結局、この本は質問でも答えでもない、願いで終わる。私は愛し愛されたい。自分を傷つけなくていい方法を探したい。"嫌だ"よりも、"いいね"という単語が多い人生でありたいと思う。」

 

 

P170

「結局、自分が羨ましいと思う人々に一足飛びに近づくことはできない。そうなれはしない。そう自分が洗練されていく道はただ一つ、今の自分自身から、少しずつ、のろのろと、進んでいくだけだ。判断を急かず、感じるままに無理強いはせず、自らが下した判断と感情を受け入れること。自分を責めたところで、たちまち賢くなれるわけでもないのだから。

 おそらく人生は、受け入れることを学ぶ過程なんだと思う。受け入れたり、放棄したりするということは、人生の特定の時期だけに必要なことではなく、生きている限りずっと取り組むべき課題ではないかと思う。ありのままの、つまらない自分を受け入れることで、ありのままの、それでも努力しようとする、つまらない相手をも受け入れることができる。」

 

 

P177

「私たちにはいつも修飾語がくっついてくる。

(中略)

私は今会社で仲の良い人たちの学歴を知らない。自分でも特に知りたいと思わない。全てではないが、少しずつ変わっている。変わらない部分だけを見て辛い思いをするより、変化する部分に目を向けて希望を持つべきだ。多くの人が修飾語などなくても、カッコよく、自信を持てる日が来たら、という希望を。」

 

 

P185

「『あの人は変わってしまった』というのはいらない言葉なのかもしれないと思った。一貫した人であるとか、あるいはそうあって欲しいと願うことは、人によっては残酷なことなのかもしれない。

(中略)

私たちの中に種がないものは、絶対に育つことはない。だから、私たちは生涯にわたって他人とは平行線をたどるしかない。しかし、私の中にないものを作り出すための方法が想像と学習だ。感情移入というのもやはり学習であり、想像しなければいけない時がある。

 感情移入は自然にできるものだと考え、自分を動かさない多くのものに対しては、心を閉ざして生きてきた。しかし、私の中になかったものを作り出して連帯する瞬間こそが、大人になる一つの道であるはずだ。

(中略)

 理解できず、だから移入もできない感情を、学んで想像すること。それは他人に対しての愛情であり、私の中の種と相手の中の種が干からびてしまわないための唯一の脱出口である。完璧に理解はできなくても、それでも握ったロープを離すまいとする心。」

 

 

自分の今とこれから

最近以前にも増して悩むことが増えたのに、答えを出せないまま、堂々巡りをしています。

 

それと、PMSのせいだと思いますが、生理前になると所謂「病む」ことも増えました。

 

アトピーがひどく痒くて肌が赤くなったり傷が絶えなくて

家族の言葉に深く傷ついて離れたいと思っても経済的な自立ができていなかったり

対人関係でうまくいかなかったり

うまく生きているように見える兄弟や他人を羨望して

今まで色々な人を傷つけてきた過去を悔いて

 

死にたいと思うわけではないけれど

「生きていたくない」という言葉がしっくりきます。

 

特にアトピーがひどいとこの言葉がよく当てはまります。

 

他人の何倍も時間もお金もかけて何回も病院に行ったり新しい商品を試しては荒れて苦しんで

どうしてそこまでしないといけないのかとよく思います。

 

こんなに苦しんでも完治しないし、

汚い肌で見た目に苦しんで、悩んで、なんで私はこんなことに悩まないといけないんだろうと

最近は特に思うようになりました。

 

 

 

「自分が生きている意味」を考えていたとき、

悲しいニュースを耳にします。

若く有名で、実力もある俳優さんが自殺したニュースでした。

 

あまり詳しくない私でも馴染みのある方で、

最近は歌手活動もされていて、音楽番組で他の歌手とコラボされていた際は

本当に感動して、録画したものを何回も見ていました。

そのニュースを聞く前日にも、また録画を見て、

「ああ、またこういう番組にも出てほしいな」と思っていました。

 

いまだに信じられない気持ちがあって、

連日いろんな記事やニュースを見かけますが、

昨日ある記事を見かけ強く印象に残ったものがあります。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/c99b0571dfc4d46383fba2b9c35ab374fe607892

 

引用ーーー

もしかしたらこれから先、各社の報道は彼の死の理由を探るのかもしれない。僕らの知らない「このような理由があって死んだ」という報道は、まるでラストシーンが映画の意味を決定するように、彼の人生の意味を塗り替えようとするのかもしれない

でもそれは間違いだ。2020年の7月18日に起きたことは、彼が30年生きた日々のたった1日でしかない。その死は確かに彼の人生の一部だが、それは大きなジグソーパズルの一片でしかなく、オセロゲームの終端に置かれたコマのように、人生の意味をパタパタとひっくり返して色を変えていくものではない。死は逆算して生を定義するものではなく、生の最後の一部として片隅に置かれるべきものなのだ。 
 彼の死ではなく、彼の生を記憶しようと思う。多くの作品で彼が演じた役について、彼が語った未来への希望について。

ーーーーー

 

 

引用した部分を読んだとき、自分が悩んでいたことへの答えのように感じました。

 

今まで自分がやってきたことは変えられないけれど、

これからどう生きたかが私の人生の意味を決める。

 

悩んでもいい、立ち止まってもいい。

けれどこれ以上は後悔はしたくない。特に、やらずに終わる後悔はしたくない。

怠け者で、すぐサボるし、

アトピーや持病が辛くて何もできない日もあるかもしれない。

これからも対人関係には悩むだろうし、

うまく生きているように見える人たちのようにはなれないだろう。

それでも、何かをして、自分の人生を生きなければならないんだと思えました。

 

 

 

この記事を読む前、尊敬する友人と話していたときに印象的だったことも書いておきます。

 

彼女に私が悩んでいることの一部を話すと、

自分の将来や親しくなった人との関係に悩んだ時期があったことを話してくれました。

 

そのとき、たくさん悩んで「自分で考えて決めた」と言います。

いろんな人と話したけれど、たくさんのアドバイスをもとにしても

最後は自分で考えて結論を出すことが重要なんだと。

 

正直、私が苦手なことだと思いました。

「自分で考えて決める」

 

加えて、「決めたことを継続すること」もでしょうか。

 

でも現状を変えたいと思うから、少しずつ自分ができることをやってみようと思います。

自分への尻叩きの意味も込めて宣言しておきます。

 

・将来、海外に移住する。(国は未定)

・そのために英語の勉強と中国語の勉強をする。

 

今の社会情勢の中で、時期はまだまだわかりませんが

いろんな国に行って自分に合う土地を探したりもしたいです。

 

 

 

今回もまとまらない文章になってしまいましたが、

これからのこと、今思ったことをかけたのでとりあえずよしとします。

 

これからはもう少し頻度を上げて自分が思ったことを言葉にしていけたらいいな。

 

 

あの時叶わなかった姿を

みなさんは学生ですか。

それとも社会人ですか。

まだ将来に悩んでいる人もいるでしょうか。

 

 

あなたは自分の進路をどうやって決めましたか。

決めた時、誰かから反対されたでしょうか。

そんな反対を押し切って進んだ人もいるでしょうし、

周りの意見を参考にして違う道を選んだ人もいるでしょう。

 

 

私は今社会人で、普通の会社で普通に事務をしています。

 

でもこの仕事をしていても自分の能力が伸びていかないだろうことや、

自分には何ができるのか、

自分は何がしたいのか、

何が向いているんだろうか、

どうやってそれを探していこう、

 

などなど

 

日々悩みは尽きません。

 

みんな悩んでいることだと思います。

 

私も例外ではなく、今日も帰りながら悩みました。

 

そこで想像しました。

 

「あの時親に反対されて諦めた職業に就いていたら自分はどうなっていたんだろう」

 

と。

 

 

 

 

私は就職活動で大変悩んだ学生の一人でした。

 

自分がしたいことがみつからず、

アピールできることに悩み、

向いている仕事に悩み、

なかなか進路を決めることができませんでした。

 

というのも、

親から地元の企業以外受けるなと言われたり、

自分が受けている企業に難癖を付けられたりして

もともとない選択肢をより狭められて

どうしたらいいのかわからなくなっていたからだと、今は思います。

 

 

先程述べた「もともとない選択肢」という言葉は、

何がしたいかわからなくて、業種や職種を幅広く見ることができていなかったのに、

親のフィルターまで加わって、更に選択肢を奪われたことを言います。

 

 

その時選考が進んだり内定が出たりしても嫌な顔をされたのは

飲食店や販売の仕事でした。

 

 

「大卒がやるような仕事じゃない」そうです。

 

 

私はいいなと思ったから受けて、受かったのにこれです。

じゃあ大卒がやる仕事ってなんだよ。て感じですね。

おそらくオフィスワークのことを指しています。

 

子供がやりたいと言った仕事を無下にして、自分が思うような仕事についてほしいと思う。

最上級に親のエゴだと思いました。

 

土日は休みの方がいいとか、

家から通えないといけないとか、

いろんなことを言われました。

 

心配しているとか、自分の経験を踏まえてとか、

ありがた迷惑でしかありませんでした。

 

これは私の人生なのに。

 

自分は誰のために仕事をして誰のために生きるのだろう、と。

 

 

子供は、親が引いた安全なレールだけを歩けるわけはありません。

 

いつか親元を離れて、

自分で判断して自分で生きていく必要があります。

 

親とは、子供がそうできるように育てるべきではないのでしょうか。

 

子供を持ったことがない私が言っても説得力はないのでしょうか。

それとも、親の気持ちがわかっていないと一蹴されるのでしょうか。

 

でも、育てられながら感じました。

 

親が全て決めてくれると、

私たち子供は何も自分で決められなくなります。

 

自分が明日着たい服も、

着るべき服も、

何がほしいのか、

何が必要なのか、

そのために何をするべきなのか、

 

何も考えない子供になりました。

 

 

 

だって、自分の意見を言っても聞いてもらえないから。

 

 

 

親の言うことを聞かないと怒られるから。

 

 

 

自分の意見を通して失敗したら、ほれみろと言われてしまう。

また怒られてしまう。

 

 

それなら親の言う通りにしておこう、というわけです。

 

 

 

そんなふうに育って、自分がやりたいこともなかなか見つからない中、

なんとか就職します。

 

 

 

そこでは、まあまあ経験を積ませてもらいましたが

留学することにしたので退職し、留学に行きます。

 

 

 

 

帰国、そしてまた就職活動が始まるわけです。

 

 

 

当然、また親に憚られるわけです。

 

 

当時、ある就職アドバイザーさんと出会い、

なかなか素敵な職場を紹介してもらいます。

 

 

ホテルです。

 

 

それだけ聞くとやめとけと言われるのはわかります。

 

私も避けていました。

 

その業界で働く友人はみな大変そうでしたし、

夜勤もあるので体力的にもしんどいだろうとわかっていました。

 

でも他のホテルと比較をしてもかなり条件がよくて

事業展開も期待を持てる感じでした。

 

 

 

まあ行ってないので実際はわかりませんが。

 

 

 

もともと接客が好きで

留学の時に考えて考えてやっと見つけたやりたい内容で、

いいなと思えた職場でした。

 

 

 

ここでまた親が出てきます。

 

 

夜勤があるなんて聞いていない。

 

絶対に体調を崩す。

 

生活リズムがみんなと違うから面倒だ。

 

 

いろいろ言われ、揉めに揉め、泣きに泣き

 

 

 

結局内定を辞退することになりました。

 

 

 

 

せっかくやりたいと思えた仕事を見つけても

 

 

ことごとく反対され、

叶うことはありませんでした。

 

 

 

どうして反抗しないのか、と思われるかもしれません。

 

 

 

私も反抗したいです。

 

 

 

これは長年の教育の成果で、

 

親が怒鳴っている時や強く自分の意見を主張している時、

私はもう何も言うことができなくなります。

 

うまく説明できないし、

すぐ泣きそうになるし、

 

ただただ立ちすくみ、

 

黙ることしかできなくなります。

 

 

そんな自分も嫌だし、

 

自分のやったことややりたいと思っていることを否定されるのも苦しい。

 

 

それでも、何も言うことはできません。

 

 

この現状から逃れることは、まだ難しいものがあります。

 

 

 

 

もうひとつ、

 

こうなってしまった時の私の親は、

筋が通っていないことも多々あり、

 

 

そんな人に何を言っても無駄、というのもあります。

 

 

 

 

 

 

こうして私は就職に関しては2度、やりたいことをへし折られ、

 

今に至ります。

 

 

 

 

 

 

これからのことを悩んで、

 

 

あの時叶わなかった姿を

 

今とは違う自分を想像してみても

 

 

 

よくわかりません。

 

 

うまくいっていたかもしれないし、

 

 

言われた通りダメだったかもしれません。

 

 

 

 

それでも想像せずにはいられません。

 

 

 

 

あの時はもう戻ってきませんけど。

 

 

授業中自分の意見を言って恥ずかしい思いをしたことある?

この前会社の研修に参加した時、自己分析みたいなチェック欄に

「自分の意見を進んで言う」→はい、どちらかといえばそうだ、いいえ

的な項目がありました。

 

その後、自分が何を選んだか、どうしてそう選んだかを話し合うグループワークがあり、

この項目について話した際、同じグループだった女の子が

「私は絶対自分から意見を言わない。他の人の意見を聞いてから言う。

他の人の意見をまとめる感じで言う。」と言いました。

 

小学校の時こういう子いたわ〜〜、

と私は内心思いながら聞いていました。

 

周りから浮かないように、

笑われないように、

恥をかかないように、

間違わないように、

 

そんな意識が働きまくっているからこういう考え方になるのかなと思います。

 

実際、私が育ってきた環境では自分の意見を言ってそれが間違っていた時、

笑われたり否定されたりして恥をかく可能性が大いにありました。

 

小中学校は公立、高校は近所の私立に通っていましたが、

どこも大差はありませんでした。

 

 

高校3年生の授業中の出来事で、今でも印象に残っていることがあります。

 

私の学校には高校生でも長期留学できる制度がありました。

 

そこで1人の同級生が約1年間留学をして、3年生になるころに日本に戻ってきました。

 

私が覚えている彼は、静かで、話しているところをろくに見たことがない印象で、

声すら覚えていませんでした。

しかし、彼は日本にいた時と見違えるように変わり、自分の意見をはっきり堂々と述べるようになっていました。

 

ある日、授業中に当てられた彼は答えがわからなかった為、

はっきりとよく通る声で「わかりません。」と答えました。

 

みなさんのクラスがどうだったか知りませんが、

当時の私たちは先生に当てられても、モゾモゾっと発言したりするのが常で、

ましてや回答がわからない時なんかは溜めに溜めたものです。

 

だから、彼が堂々と「わかりません。」と答えた時、

みんなが笑いました。

確か私も笑ってたと思います。

 

これなんです。これがあるから自分の意見が言えなくなるんですよね。

 

わからないことを何も恥じる必要はないんです。

わからないことを堂々と答えることは何も恥ずかしいことではないんです。

 

ダメなのは、自分の意見が言えないことなんです。

 

 

 

私は大学卒業後、台湾に語学留学していました。

その際、毎日毎日自分の意見をいう場面があり、最初はひどく困りました。

 

自分の意見がなかったからです。

 

そして何を話すのにも自信がありませんでした。

 

でもクラスメイトや先生は、私の意見をじっと聞いてくれました。

私が自信なさげにしていたりすると

授業が終わってからフォローしてくれることもありました。

 

そのおかげで、自分の意見を発信することに抵抗がなくなっていきました。

 

 

「他人の意見をしっかりと聞き、尊重し、そしてまた自分の意見を話す場」というのが

日本には圧倒的に足りないのではないか、

それが、自分の意見を言えなくしていっているのではないかと考えるようになりました。

 

 

 

研修でいっしょになった女の子には直接言えませんでしたが、

「私はあなたの意見が聞きたい」と伝えたいです。

 

誰かの意見に賛成するのでもいい。

反対でもいい。

 

あなたの意見が聞きたいと。

 

あなたが発表を求められている時、

みんなの意見をまとめた言葉を待っている訳ではないのです。

 

みんなは、あなたがどう思っているのかが知りたいのです。

 

 

 

高校の同級生だった彼もきっと

周りの意見をしっかりと聞いて、

自分の意見をはっきりと話せる場を経験して戻ってきたから、変化があったんじゃないかと思います。

 

 

 

このことに気づかせてくれた彼と、留学中のクラスメイト・先生たちのことを忘れずに

これからも自分の意見を持ち、

周りの意見も尊重できる人間でありたいです。

会社にいる無能おじさんにならないために

失礼な題名ですみません(自衛)

 

あなたの会社にいるおじさんで、仕事がバリバリにできて頼り甲斐のある人ってどれくらいいますか?

ここでおじさんと性別を限定してしまっているのは、

ただただ私が以前いた会社は男性が多く、その分仕事ができない男性が多く目立っていたため

語感のいいこの言葉をよく使ってしまっていました。

 

説明しても失礼でしたね。

 

でも本当に仕事ができない人がたくさんいました。

 

文句ばかりいったり、

報連相がきちんとできず取引先にカンカンに怒られてからやっと事態が発覚していた人、

仕事を増やしたくないからと自分の言い分を並べ立てて取り合ってくれない人、

仕事の相談をしに行っているのに返ってくる言葉が全部セクハラな奴、

超絶有能な人を海外転勤させる際に全く違う部署の部長にする上層部、

 

 

「ええ、この人何年生きてきたの?!」

「嘘…こんなに失礼なのに結婚してる……」

そう思うことがよくありました。

 

 

決して私が有能なわけではなく、

たくさん失敗していましたし、色々な方に助けてもらいながら仕事を進めていた人間なので

えらそうなことは何も言えないのですが、

やっぱり「ああはなりたくない。思われたくない。」と思うわけです。

 

 

私は20代ですが、漠然と

「勉強は学生のもの」というイメージを持って生きていました。

 

そう思っている人も少なくないのではないかと思います。

 

でも22歳で大学を卒業してから

何も学ばずに働き続けるなんて、成長が一切ないじゃないですか。

 

少なくとも会社に入ってすぐは

その業界や職種の知識を学ぶので、新しい知識が入ってきますが、

数年してその仕事に慣れてしまえば、

自分から学ばない限り新しい知識は増えないですよね。

 

ずっと同じやり方で、

ずっと同じくらいの知識量で、

ずっと同じ会社で、

ずっと同じような人とだけ、

こんな状況で仕事をしていたら、成長できなさそうですね。

 

その成長してこなかった人たちが、私が出会ってきた「無能おじさん」なのかな、なんて思ったりします。

 

 

同じことを続けるのは難しいことだと思います。

同じことだけを極めるすごさもあると思います。

 

 

でも学びをやめてしまうことは、私はしたくないなと思いました。

 

 

学生のころに始めた学びは、ずっと続けていかないといけない。

 

仕事に関する知識もいいですが、

仕事だけでは偏ってしまうしそんな仕事人間になれる気も今はしないので、

趣味など、仕事や家以外の世界も持っておきたいです。

 

それから、

今世界で何が起こっていて、

それに対して自分の国は何をしていて、

自分の地域の文化、違う国の文化、

経済や政治などについても、ずっとずっと知り続けないといけないなと思っています。

 

日本にいると、日本に直接関係していないニュースを日々摂取することは

意識的にこなさないと容易ではありません。

 

あとは自分の興味のない分野の知識も取りに行かないと知らないことが多いですよね。

 

最初からたくさん始めようとすると続かないので、

まずは自分の興味のあるところから、少しずつ取り入れていきたいです。

 

 

そうして成長していくことは、きっと将来の自分のためになる気がしています。

 

もう会えない人にもしもう一度会えた時後悔しないために、自分の考えをちゃんと言語化するための練習ブログ

こんにちは。

 

初めて はてなブログ というものをさわります。

 

題名の通りです。長い題名ですね。

 

私は自分の思ったことを言葉にして人に伝えるのが下手くそで、

よく母親や姉に「は?どういう意味?」と聞かれては

説明する意欲を失っていった人間です(現在進行形)。

 

そうすると、私の話を理解しようと一生懸命聞いてくれる友人にも

「私の説明今下手くそなんだろうな」

「あ、わかってもらえてないかも」

「聞いててもつまらないよな…」

と思うようことが多く、もどかしく感じています。

 

自分の思ったことをちゃんと伝えられていないのではないかという不安感は

自分に対する自信の喪失に繋がっている気がしました。

 

もっとちゃんと、しっかりと

自分の考えが話せるようになりたい。

 

自分の考えを言葉にする練習がしたい。

 

そんな時に、ブログで練習することを思いつきました。

 

 

 

ここでは、自分の今の考えや、

短いながらも海外に留学した時のことなどを書きながら

言語化の練習をしていきたいと思います。

 

 

そして、最終的には

題名の通り、「もう会えない人に、もしもう一度会えた時後悔しないために」

自分の考えをちゃんと伝えられる人になりたいです。

 

「もう会えない人」は、私の大好きだった人です。

この話は、またいつかしようと思います。

 

 

ブログを書いていくなかで、

私はまだ考えが足りないところがあるので

間違っていることがあるかもしれません。

 

そんな時は、あなたの考えを教えてくれると嬉しいです。

 

よろしくお願いいたします。